昭和の歌姫として1970年代に大活躍した山口百恵さん。引退した現在もなお伝説のスターとして人気があります。
そんな山口百恵さんの壮絶な生い立ちと両親について、またかわいい若い頃や昔のエピソードをまとめました。
この記事の目次
山口百恵さんのプロフィール
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プロフィール
名前:山口百恵(やまぐちももえ)
本名:三浦百惠(みうら ももえ)
生年月日:1959年1月17日
出身地:東京都渋谷区恵比寿
血液型:A型
身長:158cm
最終学歴:日出女子学園高等学校卒業
活動期間:1973年〜1980年
山口百恵さんは1972年、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝、そして20社から指名を受けたのです。
しかし、審査員の阿久悠さんからは「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と言わたとか。
そんな山口百恵さんが『スター誕生!』に応募したきっかけは、同い年の森昌子さんがテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたい」と思ったからだそうです。
翌1973年4月、映画『としごろ』に出演した山口百恵さんは、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビューします。
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デビュー曲『としごろ』
こうして歌手デビューした山口百恵さんは、森昌子さん・桜田淳子さんと共に「花の中三トリオ」と呼ばれたのです。
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『ひと夏の経験』
1974年にリリースされた『ひと夏の経験』が大ヒットし、大きく花咲くこととなった山口百恵さん。
少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという路線変更で、絶大な人気を獲得したのです。
こうして人気を獲得した山口百恵さんは、以降も『秋桜』『プレイバックPart2』『いい日旅立ち』などの名曲を歌っています。
また映画『伊豆の踊子』に出演した山口百恵さんは、以降女優としても映画やテレビドラマで大活躍したのです。
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結婚・引退
こうして大人気だった山口百恵さんですが、何度も映画で共演した俳優の三浦友和さんとの交際を発表。そして1980年に三浦友和さんと結婚し、芸能界を引退したのです。
山口百恵さんの生い立ちが壮絶
昭和のスーパースターとして知られている山口百恵さんですが、実は生い立ちが壮絶なものだったのです。
そんな山口百恵さんは引退直前の1980年9月、自叙伝『蒼い時』を刊行し、自身の生い立ちについて語っているのです。
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山口百恵さんの自叙伝『蒼い時』
山口百恵さんの生い立ちは、この自叙伝『蒼い時』が刊行されるまでは謎のベールに包まれていたのです。しかし、この自叙伝『蒼い時』では複雑な生い立ち・芸能人としての生活の裏面・そして恋愛や初体験まで赤裸々に綴られているのです。
山口百恵さんは愛人の子供だった!
山口百恵さんの両親は、実は籍は入っておらず父親には本妻がおり、山口百恵さんは不倫相手の子供だったのです。
父と母は,いわゆる法律的に認められた夫婦関係ではなかった。父には,すでに家庭があり,子供もいた。母を愛しはじめた時,父は母の父に「責任を持ってきちんとします」と言明したという。だが,戸籍に書かれた娘たちの名前の上には「認知」という二文字が置かれている。
引用:山口百恵“韓国ルーツ説”を封殺する! http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/kasukadari
こうした事実はデビュー当時、所属事務所のホリプロから固く口止めされており、『幼少の頃に両親が離婚し、父親はいない』と答えさせられていたそうです。
そのため一部では、山口百恵さんの父親は韓国人であるという噂まで流れたようです。
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医者をしていた父親
このように山口百恵さんの父親には別の家族がいたことから、父親はたまに山口百恵さんに会いにきていたようですが、経済的にはとても貧しく、母親は内職で家庭を支えながら生活保護という生活を送っていたそうです。
山口百恵さんの父親は医者と言われており、医者であれば収入は決して悪くないはず。
それでも、経済的援助はしなかったということになります。
母親を楽させてあげるために歌手デビューした山口百恵さん
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このように、複雑でとても貧しい家庭で育った山口百恵さんは、″母親に楽をさせてあげたい”という思いから、収入がいいとされていた歌手を目指します。
「蒼い時」によると、母が内職で家計を支え、実の父が時折訪ねて来る生活。逆境がスターを目指す原動力だったのだろうか。山口さん自身は、経済苦から逃れるためにデビューしたという見方を「(歌手に憧れたのは)幼い少女がおとぎ話のヒロインを夢見る、その程度の気持ちだった」(蒼い時)と否定している。
引用:山口百恵さんの「原点」横須賀を歩く http://mainichi.jp/a
父親が驚きの行動に!父親を恨んでいた山口百恵さん
見事歌手デビューを果たし、スターへの階段を昇っていった山口百恵さん。
芸能界で華々しく輝く山口百恵さんを見た父親は、なんと山口百恵さんにすり寄ってきたのです。
なんと父親は山口百恵さんが売れた途端、お金の無心をするようになったのです。そして挙句の果てには親権を母親から奪い取ろうとしたり、所属事務所から勝手に借金をするようになったと言われています。
そして最終的には、手切れ金を渡して縁をきったと言われています。
こうした事からも、山口百恵さんは父親を相当恨んでおり、自叙伝『蒼い時』の中でも″私に父はいない”と語っているのです。
芸能界で活躍するようになった彼女に金の無心をする父親。
やがて百恵の親権をめぐって母親と争うようになる。
そんな父親に怒りと哀しみを抱き、最後は「金銭で血縁を切る」ことを決意し「私には、父はいない」と言わしめた。
一方自分達姉妹を、苦労して育て上げた母親に対しては、深い感謝の念を抱く。
引用:山口百恵著 蒼い時 http://booklovers8888.seesaa.net/
山口百恵さんの知られざる若い頃
父親との確執など壮絶な生い立ちを歩んできた山口百恵さんですが、デビュー後は歌手、そして女優として大活躍したのです。
まずは、山口百恵さんの若い頃の可愛い画像を見ていきましょう。
山口百恵さんの若い頃の可愛い画像″5選”
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山口百恵さんの若い頃の可愛い画像①
とても笑顔がチャーミングな山口百恵さん。
出典:http://trend-japon.com/
山口百恵さんの若い頃の可愛い画像②
笑顔はまだ幼いですね。
出典:http://attractedscoop.com/
山口百恵さんの若い頃の可愛い画像③
しかしこちらの山口百恵さんは一変、とても大人っぽいです。
出典:http://lohaslove.ti-da.net/
山口百恵さんの若い頃の可愛い画像④
そんな山口百恵さんはルックスにも人気があり、1976年のプロマイド売上は年間1位を記録したそうです。
出典:https://www.pinterest.jp/
山口百恵さんの若い頃の可愛い画像⑤
こちらの山口百恵さんは、とても大人っぽくてセクシーです。
そんな若い頃の山口百恵さんには、インターネット上でも賞賛の声が相次いでいました。
山口百恵は21歳で引退したんだけど、この色気はハタチそこそこの娘のそれではないよ pic.twitter.com/wwuHA5fokw
— コーラ味 (@t2phage_dy) 2018年7月2日
昭和の歌姫として大活躍した山口百恵さん
出典:http://kima-mato.blog.jp/
昭和の歌姫
そんな山口百恵さんは、わずか7年半ほどの芸能生活にも関わらず、シングル31作1630万枚、LP45作434万枚を売り上げ、1970年代に最もレコードを売り上げたのです。
そんな山口百恵さんの代表作をご紹介します↓
1977年『秋桜』
1978年『いい日旅立ち』
女優としても活躍した山口百恵さん
歌手としてのイメージが強い方が多いと思いますが、山口百恵さんは女優としても活躍していました。
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映画『伊豆の踊子』
歌手として『ひと夏の経験』が大ヒットした1974年には、映画『伊豆の踊子』に出演した山口百恵さん。
この伊豆の踊子での演技が高く評価され、その後数々の映画で活躍したのです。
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テレビドラマ『顔で笑って』
1973年にテレビドラマ『顔で笑って』で連続ドラマにレギュラー出演を果たした山口百恵さんは、このドラマで親子役を演じた宇津井健さんと公私ともに仲良くなり、後の山口百恵さんの結婚式の仲人も務めています。
その後、『赤い迷路』や『赤い運命』・『赤い衝撃』といったテレビドラマ″赤いシリーズ”で人気を博し、シリーズは6年にも渡って放送されたのです。
出典:http://www.tbs.co.jp/
1974年『赤い迷路』
赤いシリーズ第1作目。
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『赤い衝撃』
赤いシリーズで初の単独主演。
山口百恵さんの交際宣言~結婚
人気絶頂だった山口百恵さんですが、1979年10月に″私が好きな人は、三浦友和さんです”と突如として交際宣言を発表したのです。
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そして翌1980年3月7日、山口百恵さんは三浦友和さんと婚約発表を開いたのです。
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婚約発表を開いた山口百恵さんと三浦友和さん
映画の共演をきっかけに交際を始めたとされる三浦友和さんと山口百恵さんが婚約会見(写真)。
引用:三浦友和さん、山口百恵さんが婚約発表 https://www.jiji.com/
こうして交際宣言から婚約発表と世間に衝撃を与えた山口百恵さんは、1980年11月19日に赤坂の日本基督教団霊南坂教会で挙式、そして東京プリンスホテルで披露宴を行いました。
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そして山口百恵さんと三浦友和さんの披露宴には、招待客1800人が出席し、盛大に執り行われたそうです。
今もなお語り継がれている″日本中を涙させた”山口百恵さんの引退
こうして三浦友和さんと結婚した山口百恵さんですが、結婚発表と同時に引退も発表したのです。
翌1980年3月7日には三浦との婚約発表と同時に、「我儘な…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させて頂きます」と芸能界引退を公表する。
引用:ウィキペディア『山口百恵』 https://ja.wikipedia.org/
1980年10月5日に日本武道館で行われたファイナルコンサートでは、涙を見せないと言われていた山口百恵さんが、最後の曲『さよならの向こう側』では堪え切れずに涙の熱唱となったのです。
『私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります』とファンへメッセージを残した山口百恵さんは、歌唱終了後、ファンに深々と一礼をしたのです。
ステージ中央にマイクを置いた山口百恵さん
出典:https://ameblo.jp/
最後の曲を熱唱し、ファンに深々と一礼した山口百恵さんは、なんとマイクを中央に置いたまま、まっすぐ前を見て舞台袖へと歩みながら去っていったのです。
そしてこちらは、のちに伝説のエピソードとなり、今もなお語り継がれているのです。
「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」
’80年10月5日、日本武道館でのコンサートを最後に、人気絶頂期にあった21歳の若さで引退した山口百恵。白いマイクをステージに置いたのは、「2度と戻らない決意の表れ」でもあった。
引用:安室奈美恵、堀北真希、山口百恵など人気芸能人引退の「去り方と逃げ方」 https://www.msn.com/
山口百恵さんの生い立ちと若い頃についてのまとめ
・山口百恵の若い頃は、歌手や女優として活躍していた
・1980年3月に三浦友和と結婚し、ファイナルコンサートでマイクをステージ中央に置く
いかがでしたでしょうか。
山口百恵さんの生い立ちや若い頃についてまとめました。
そんな山口百恵さんの生い立ちは、とても複雑で壮絶なものでした。
しかし、この生い立ちがあったからこそ、歌手・女優として成功したに違いありません。
そして引退後は、複雑な家庭環境で育った山口百恵さんの幼少時代とは裏腹に、素敵な家族に恵まれ幸せな生活を送っています。
現在はキルト作家としても活躍している山口百恵さん、これからも素敵な人生を歩んで下さい!