その透明な歌声と美貌で人気絶頂の中、急逝したZARDの坂井泉水さんですが本名や家族などプライベートは謎に包まれています。
今回は坂井泉水さんの本名にまつわるエピソード、妹さんを含む家族、彼氏や結婚などの噂を紹介します。
この記事の目次
坂井泉水のプロフィール
プロフィール
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生年月日:1967年2月6日(没年40歳)
出身:神奈川県平塚市
血液型:A型
経歴
多くの人がZARDのボーカリストとしての坂井泉水さんを認識しているでしょうが、実はモデルとして活動していた時期がありました。
モデルやグラビアの仕事をしながらも、歌手になるという夢を諦めきれなかった坂井さん。
1990年スターダストプロモーションの代表取締役から才能を認められ、「ZARD」としてシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューします。
その後、「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など9作でミリオンヒットを記録。
90年代を代表する女性歌手となりました。
坂井泉水の本名にまつわるエピソード&噂
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坂井泉水さんは音楽活動を始めるまでは、本名の「蒲池幸子(かまちさちこ)」という名でモデルやグラビアの仕事をしていました。
ただし、歌手として活動を始めて以降は、歌番組の出演やライブ活動はほとんど行わず、メディアへの露出がほぼないことでも知られています。
「美人だ」と言ってもてはやされることを嫌い、音楽の実力だけをみてもらうためだったそうです。
そのため、坂井泉水さんのプライベートは謎に包まれており、かなり近しい関係者でも坂井泉水さんの本名さえ知らなかったと言います。
こんなエピソードが残っています。
ある日のレコーディングで、いつでも全力で歌う坂井さんは過呼吸で倒れてしまい救急車で搬送されることになりました。
デビューから全ての楽曲に携わってきた関係者が付き添っていましたが、レスキュー隊から坂井さんに関して、本名、血液型、年齢など聞かれても、何も答えられなかったと言います。
仕事の時は、どんなに心を許した相手であっても「坂井泉水」であり続け、「蒲池幸子」という素顔は決して誰にも見せなかったのです。
また、本名の「蒲池」というのは大変珍しい苗字ですよね。
実は、もう1人大物女性歌手で同じ「蒲池」という苗字の人がいます。
それは松田聖子さんです。
松田聖子さんの本名は、「蒲池法子」といいます。
珍しい苗字が同じとあって、2人はいとこ同士である、親戚だ、という噂が流れました。
「蒲池」という苗字は福岡県にルーツがあり、松田聖子さんは福岡県出身、坂井さんの父も福岡県出身なので、先祖を遡っていけばもしかすると同じ「蒲池一族」である可能性は高いですね。
先祖が遠い親戚の可能性はありますが、坂井泉水さんと松田聖子さんがいとこ同士というのは単なる噂のようです。
あまりにプライベートが謎に包まれているため、根も葉もない噂が広がってしまったのでしょう。
坂井泉水の闘病生活&死の真相とは
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9曲もの楽曲がミリオンセラーを記録し、もはや知らない人はいないくらい、90年代の音楽界を牽引したZARDの坂井泉水さんですが、その人生はとても短命に終わってしまいました。
歌手デビューから10年も経たない2000年、坂井さんは子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、闘病の日々が始まりました。
そして、2006年には子宮頸がんと診断され、39歳で子宮全摘出手術を受けることになったのです。
手術から1年後、順調に回復していると思われましたが、なんとがんが肺へ転移。
またも入退院を繰り返す日々となりました。
それでも入院先の慶應義塾大学病院の病室で、坂井さんは曲を書き続けていたそうです。
長い闘病生活の中で、坂井さんはうつ病も患うようになりました。
子宮頸がんや乳がんなど、女性特有のがんを患うと、うつ病を発症する女性は多いと言います。
抗うつ剤を服用しながらがんの闘病生活を送っていた酒井さんでしたが、2007年5月26日午前5時40分頃、入院先の病院内のスロープから3メートル下に転落してしまいます。
駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見され、集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急逝したのです。
40歳という若さでした。
事務所からの発表では事故とのことでしたが、うつを患っていた坂井さんは自殺を図ったのではないかとも憶測が飛びました。
警察による捜査も行われましたが、実際の捜査結果は発表されていません。
長いがんの闘病生活に加え、うつ病を患い、最後は壮絶な死を遂げた坂井泉水さん。
蒲池幸子としての素顔は決して見せず、その死さえも多くの謎を残しました。
ですが、亡くなって11年目の命日を迎えた今でも、彼女が世に送り出した曲は多くの人を励ましています。
懸命に歌うことだけに人生を注いだ坂井泉水さんの想いは、現在もちゃんと人々に届いているのです。
坂井泉水の家族とは【両親と妹と弟の4人家族】
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坂井泉水さんはメディアへの露出は極めて少なく、かなり長い付き合いのある関係者でさえそのプライベートは知らないというほど。
ですので、坂井泉水さんのプライベートに関する情報はかなり少ないです。
ただ、坂井泉水さんは3人兄妹の長女で、弟と妹がいるという噂です。
ネット上では、妹の名前は蒲池陽子さん、弟は蒲池和明さんと言われていますが、年齢などについては全くわからないので、この名前が事実なのかも定かではありません。
また、ZARDの全盛期には東京の町田に40坪ほどのこじんまりとした新築を建て、そこに両親を呼び寄せたという情報もがあります。
坂井泉水さん自身の情報さえもかすかなものなので、一般人である坂井さんのご家族に関しては確かな情報は少なく、実際のところは謎が多いようです。
坂井泉水に彼氏に関する情報
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「ZARD坂井泉水」として活動するようになってからは、熱愛が噂されたことなどはありません。
ですが、デビューする前には、現在出版業界で働く神田樹希さんと交際していたようです。
坂井さんが亡くなった半年後に、神田さんは「僕だけがまだ生きている、その意味を君が教えてよ」という追悼本を出版しています。
この追悼本がきっかけで、神田樹希さんと過去に交際していたことが公になりました。
短大2年の頃、湘南に住んでいたという坂井さんは神田さんからナンパされ、2年ほど交際していました。
神田さんは当時は、補導歴もあるかなりの不良でしたが、坂井さんとの交際をきっかけに喧嘩やタバコなどを一切やめて、真面目に真剣に坂井さんと交際していたそうです。
湘南の海沿いの小さなアパートで2人は同棲していたそうで、坂井さんの楽曲には「海沿いの」「2人で夢見たあの頃」など、神田さんと過ごした頃を連想させる歌詞がいくつもあります。
ZARDとしてデビューしてからは全く恋人の影もなく、歌うことだけに集中してきた坂井さんは、若かりし頃の恋心を歌に乗せていたのでしょうか。
これほどの美貌を持ちながら、ZARDとして活躍している間には一度も浮いた話がなかった坂井さんですから、亡くなった後になって出てきた元彼の存在にはファンも驚いたようです。
坂井泉水は結婚に関する情報
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プライベートは全く表に出ていなかったため、神田さんの追悼本が発表されると、様々な憶測が飛び、実は2人は結婚していたのではという噂もありました。
しかし、坂井さんに結婚していた過去はなさそうです。
また、もう1人坂井さんの恋人だったと噂されたのが音楽プロデューサーの織田哲郎さん。
ZARDの楽曲も多くプロデュースしていて、週刊誌で2人の不倫について書かれてしまい騒動になったことがありました。
大物プロデューサーと歌手の恋愛というのはよくある話ですが、不倫となると公には出来ません。
ただ、こちらも噂の域を出ません。
純粋に音楽に対して向き合っていた坂井さんですから、仕事場に恋愛を持ち込むとは考えづらいですね。
結婚や不倫といった噂に加え、芸能界ならではとも言えますが、隠し子もいたのではとも言われています。
しかし、この情報も単なる噂に過ぎません。
プライベートが謎に包まれている分、噂が噂を呼び事実とは異なる情報が広まってしまったようですね。
おそらく坂井さんは生涯独身で、お子さんもおられないと思われます。
ZARD坂井泉水についてのまとめ
・坂井泉水の死因は「子宮頸がんとうつ病」により、病院で転落死
・坂井泉水の家族「両親・妹・弟」の4人家族だった
・坂井泉水の彼氏は神田樹希と2年交際していたが結婚はしていなかった
メディアへの露出はほとんどなく、ライブ活動もほとんどしていなかったZARDの坂井泉水さんのプライベートはかなり謎に包まれていました。
本名や血液型、年齢など、坂井さんと最も近しい関係者でも知らなかったというのは驚きです。
それは、坂井さんがどんな時でも「坂井泉水」であり続け、全身全霊で音楽に向き合ってきた証です。
メディアへの露出が少ないのも、容姿ではなく音楽の実力で評価されたいという思いからだったと言います。
晩年は辛い闘病生活が続き、それに加えてうつ病も発症。
それでも病室で歌を書き続けた坂井泉水さんは、音楽に人生をかけていたことがわかります。
坂井さんの最期は突然で、そして謎が多く残る形となりましたが、坂井さんが残した曲は現在も歌い継がれ、坂井さんが人生をかけて伝えようとしたものが多くの人の心を癒しています。
プライベートも謎だらけで、家族や恋人の情報もほとんどありません。
蒲池幸子という顔を見せず、坂井泉水として走り続けた歌手としての人生は本当に素晴らしいものだったはずです。
そしてその功績はこれから先の未来にも必ず受け継がれて行くでしょう。