ZARDの坂井泉水さんは、「負けないで」など数多くのヒット曲を連発し人気を博しましたが、2007年に転落死によって突然亡くなってしまいました。
今回は、坂井泉水さんの死去や死因、事故の真相、自殺の噂や命日、そして癌などの病気情報をまとめました。
この記事の目次
坂井泉水さんのプロフィール&経歴
プロフィール
坂井泉水(さかいいずみ)
本 名:蒲池 幸子(かまち さちこ)
出身地:神奈川県平塚市
誕生日:1967年2月6日
没年日:2007年5月27日(40歳没)
出身校:神奈川県立伊志田高等学校
最終学歴:松蔭女子短期大学(現松蔭大学)
坂井泉水さんは、1967年に神奈川県平塚市に生まれます。
小学校4年生からは、神奈川県秦野市で育ち、秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校に進学しどれも無事に卒業しています。
中学時代には、陸上部で活動をしながら、ギタークラブでも活動していたそうです。高校時代には硬式テニス部に所属するなどスポーツ女子だった坂井泉水さん。
松蔭女子短期大学(現在の松蔭大学)を卒業後、不動産会社の「第一不動産」にてOLとして約2年間勤務したのち、モデル・レースクイーンを経て、大人気ユニット「ZARD」として一躍大人気アーティストへと転身していきます。
モデルやレースクィーンとしても活躍していた
坂井泉水さんは、坂井泉水さんの所属事務所となる「スターダストプロモーション」に街頭でスカウトされ、本名だった「蒲池幸子(かまち さちこ)」の名義でモデル活動を行っていました。
レースクイーン時代の坂井泉水さん
坂井泉水さんは、OL生活を経て芸能界デビューを果たしています。しかし、最初の頃は歌手とは違う分野のキャンペーンガールをしていました。1989年には「東映カラオケクイーン」、その翌年にはレースクイーンとして活躍していましたが、密かに胸の中にあった音楽への情熱はますます高まっていたようです。
坂井泉水さんは、容姿端麗なその外見をいかしてモデルやレースクイーンとして約2年ほど活動していました。レースクイーン時代は、岡本夏生さんと同期で、その後も親交があったようでした。
その後、念願叶い、坂井泉水さんは歌手希望ということから、当時所属していた「スターダストプロモーション」からの紹介でビーイング(レコード会社)を紹介され、1991年にZARDとして歌手デビューを果たしました。
ZARDこと坂井泉水さんって、元レースクイーンなんだぜwww超スタイルよくて、それも、モデルスタイルじゃなくて、プロポーションが良いわけで。歌声があんなに綺麗で言葉のセンスが美しくて、まさに美人薄命の人。ジャニヲタには一生越えられないどころか近づけもしない壁…。
— ひより (@h1y0r1_) 2012年8月31日
ヒット曲を連発
1991年にデビューしたZARD。その後、数多くのヒット曲を連発し、「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など、合わせて9作のミリオンヒットを記録しています。
今でも受け継がれる、素敵な楽曲を一部ご紹介します。
・「負けないで」
・「揺れる想い」
・「マイ フレンド」
テレビ出演が少なかった坂井泉水さん
これまで数多くのヒット曲を連発してきたZARD。テレビ出演やライブ活動などは、ほとんど行わず、メディアへの露出が極端に少ないアーティストとして有名でしたが、唯一ミュージックステーションには活動初期の90年代前半から計5回登場しています。
「彼女は『きれい』とか、『美人』と言われるのが嫌で、歌番組の共演者に『きれいな人』と何度も言われて、テレビ嫌いになったと聞いています」
ミリオンセラーを連発しながらも、坂井さんは派手な振る舞いを避け続けた。人気絶頂期の96年11月には、東京の都心ではなく、郊外の町田市に一戸建てを新築。40坪足らずの新居に親を呼び寄せたが、「町内会に入ることも、近所付き合いもなかった」
坂井泉水さんはテレビが苦手だったようで、メディアに露出が極端に少なかった坂井泉水さんでしたが、PV作成などはしっかり作られていました。
ZARDのライブ活動も少なく、坂井泉水さんは”ミステリアス”な存在でした。
坂井泉水さん死去の真相について
坂井泉水さん死去
坂井泉水さんは2007年5月26日の午前5時40分ごろ、肺がん治療で入院していた東京・信濃町の慶大病院の5階建ての1号棟にあった、非常用らせん階段のスロープから転落しました。地面のコンクリートに後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見されました。
坂井泉水さんの病室は、いつもと変わりない状態だったため、自殺の兆候はなかったと言われていました。
転落時の目撃者がいないため、四谷署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は「最近の日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた」と説明。「3メートルの高さは自殺で飛び降りる高さではない」と話す捜査員もいる。発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。
死因は転落事故による脳挫傷…事故現場とは
2007年月26日午前5時40分頃、東京・信濃町の慶大病院の非常階段、3mほどの高さから転落死、コンクリート(地面)に後頭部を強打し倒れている坂井泉水さんが、通行人によって発見されました。
ただ目撃者などはいなかったと言われています。
事故現場だった非常用スロープ
「手すり部分には手の跡が残っていた。腰を掛けていてそのまま後方に転落したとの見方が有力だった」
子宮全摘出手術を受け一時は快方に向かったが、今年3月に受けた検査で肺への転移が認められた。嫌煙家で飲酒も好まず、健康管理に気を使っていた坂井さん。不条理な現実に直面したが、気丈だった。度重なる発病にも「しっかり治して、秋に新作(アルバム)を発表したいね。全国ツアーもやりたいよね」と前向きだった。
健康面にも気を遣い、度重なった病気にも「しっかり治して、全国ツアーもやりたい」と意気込んでいたことから、捜査関係者の間では、”誤って転落した可能性が高い”と言われていました。
自殺との見解も…自殺と言われる理由
坂井泉水さんは、”転落事故死”と扱われていましたが、自殺ではないのか?という見解もされているようです。
自殺だったのか?
坂井泉水さんは、身長165cmなのですが、手すりの高さは1.2mあったそうで、その高さの手すりを超えて落ちるというのはおかしいと指摘する声もありました。
また、自殺の可能性は低いと言いながらも、事務所側の説明による「足を滑らせた」にしては不自然過ぎるのではないかと言われてもいました。
発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。
だが、スロープの床から手すり上部までは約1・2メートル。足を滑らせて転落するというのはやや不自然だ。四谷署も、手すりを乗り越える形で転落したとみており、詳しい経緯を調べている。
そして、坂井泉水さんが、事故現場となってしまったスロープに、しかも早朝に居たこと自体、おかしいという声もあがっていました。
自殺と思われた理由はこのような事例からでした。
・患者があんな早朝に、非常通路に出入りすることはない。
・雨が降る早朝に散歩することも不自然
・病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできない
この状況から考えると、「自殺ではないのか?」と、多くの病院関係者がそう見解していたようです。闘病中だった坂井泉水さんの、心身の状態などは本人しか分からないですし、事故現場に目撃者もいなかったころから、状況証拠も不確かで、真実は今も誰にも分からないままです。
事故現場は普段とは違う散歩のルートだった?
報道では、事故現場となった非常階段は”日課としていた散歩コース”と言われていました。
坂井さんは06年6月に子宮頸がんを患い、全摘出手術を受けて回復の兆しを見せていた。だが、肺への転移が見つかり、07年4月から入退院を繰り返していた。事故現場の非常階段は、日課としていた散歩のコースだったようだ。
しかし…
実は、この日だけは違った散歩コースを取っていたとも言われているそうです。ここが非常に難しい問題点となっています。実際、3メートルくらいの高さであれば、手から落ちれば骨折程度で済んだのですが、坂井泉水さんの場合、打ち所が頭だったために、40歳という若さで亡くなるという結果になってしまったのです。
真相は闇の中…
坂井泉水さんが患っていた病気について
1990年代に次々にヒット曲を世に送り出していた人気ユニット「ZARD」のボーカル坂井泉水さんは、2000年頃から、急激に体調を崩していました。
坂井泉水さんは、どんな病気を患っていたのでしょうか?
2000年:子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症
2000年以降、坂井泉水さんは子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患っていました。
ZARDは2000年になると、「Get U’re Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲となったことから、「NHK紅白歌合戦に出場決定か?」と言われていましたが、「体調がすぐれないため」と辞退していたそうです。
では、坂井泉水さんが侵された病魔の病状を見てみましょう。
子宮筋腫とは?
子宮筋腫は、”良性の腫瘍”となるため、この病気自体が生命を脅かす存在ではありませんが、だからと言って放置したままにしていると、10kgを超えてしまうような大きさにまで成長してしまうこともあります。
筋腫が大きくなる原因に女性ホルモンが関係していますが、逆に閉経後には小さくなると言われています。子宮筋腫は複数個できることが多いそうで、その数や大きさはさまざまだそうです。
卵巣のう腫とは?
卵巣のう腫とは、卵巣に腫瘍ができたことによって大きく腫れてくる病気です。卵巣にできる腫瘍の種類はいろいろありますが、実際のところ、卵巣にできた腫瘍の、9割以上が”良性の腫瘍”だと言われています。
そして、良性腫瘍の中で一番多い症状が「卵巣のう腫」になります。
子宮内膜症とは?
子宮内膜症は、子宮の内側にしかないはずの子宮内膜が、子宮以外の場所、卵巣や腹膜などにでき、強烈な痛みを引き起こしてしまう病気です。
子宮内膜というのは、生理時に月経血として体の外に出ていくのですが、子宮以外の場所で増殖した子宮内膜はお腹の中にとどまってしまうことで、炎症や癒着を引き起こして、それが痛みの原因となっているのです。
そして子宮内膜症は、不妊の原因にもなります。子宮内膜症自体は”良性の病気”なので、生命を脅かす存在ではありませんが、痛みなどを治療でコントロールしながら、閉経まで付き合っていくことになる病気と言われています。
2006年:子宮頸がん
坂井泉水さんは2006年4月に、仕事中に体調が悪化したことから、病院で精密検査をうけたところ子宮頸癌が発見されました。そして、6月1日に慶應義塾大学病院で摘出手術を受けたあと7月には退院していました。
坂井泉水さんの癌のステージは?
しかし、若い人の癌は進行も早いと言われていますが、子宮頸がん発覚から1年後、肺への転移が見つかります。
再入院の際には、精密検査の結果“余命2ヵ月”と親族にだけ伝えられたと言われています。亡くなる頃には、体重も30㎏ほどまで痩せてしまったようです。
いまさらで申し訳ないツイート🙇♂️⤵️⤵️✨蒲池 幸子こと ZARD・坂井 泉水さんは 2007.5.27 11年前の今日 旅立ちました子宮頸がん‼️と闘い‼️貴女が この病と闘った事により 世の女性の力強い支えになりました。貴女は後世に名・実践を残しました。改めて ご冥福を お祈りいたします✨ pic.twitter.com/IgdnAbf014
— Pitpi (@Pitpi4) 2018年5月27日
2007年:肺への転移
坂井泉水さんは、子宮頸がんの手術を行いましたが、それからしばらくすると肺に転移が見つかって、抗がん剤での治療を受けていたようです。
子宮を摘出したあとに肺に転移してしまうというのは、病状として「かなり深刻な状態」と考えられていました。
子宮がんから転移しやすい臓器に肺はあった…
坂井泉水さんのケースだと、その状況からの抗がん剤治療となると「根治」の可能性はかなり低かったのではないでしょうか。最近は病状なども本人に知らせることになっているので、坂井泉水さんにも知らされていたでしょう。
そして、当時40歳という若さや今後の活動を考えた時に「対症療法(痛みや苦しみを緩和することで、なるべく安らかな死を迎える)」という結末よりも、「可能性は低かったとしても、強い抗がん剤を使って、がんを根治する」可能性に掛けたのではないかと思われています。
先日もつぶやきましたが、ZARDの坂井泉水さんは5月25日が命日。直接の死因は転落だが、子宮頸癌から肺への転移の為入院中の事故だった。
— rsm-papa (@rsmpapa1) 2015年5月29日
ワクチンの副反応ばかりで子宮頸癌の厄災については報道しない。 https://t.co/NgZC7ea9Yk
坂井泉水さんの命日は5月27日…命日の様子
坂井泉水さんは、2007年の5月27日に亡くなりました。2018年現在で、死去から11年を迎えます。
亡くなってから、毎年欠かさず、ファン達によって、”坂井泉水さんへの想いを届ける場”として、坂井泉水さんの命日となる5月27日に献花台が東京、大阪に設置されています。
毎年、献花台が設置されている
坂井泉水さんの献花台が設置されている場所は、坂井泉水さんがレコーディングなどで通っていた地である東京の六本木と大阪は北堀江に設置されています。
ファンの方々が、向日葵など思い思いの花を手に、毎年数千人が献花に訪れているそうで、ZARD と坂井泉水さんがいかに多くの人から愛されてきたかを感じることが出来る日でもあると言われています。
昨日5月27日は『ZARD』坂井泉水さんの11回目の命日
— 小田雅起 (@Oda08118004) 2018年5月28日
昨日献花台が設置された六本木へ行ってきました
天国で素敵な歌を歌っているのでしょうね。#ZARD #坂井泉水 #5月27日 pic.twitter.com/EmK9GGS8HX
今でもZARDの人気は不滅!
ZARDは、2007年にボーカルの坂井泉水さんを亡くしてから、ZARDのメインボーカルを失ったことになるので、それ以降シングルは出していません。
しかし、11年経った今でも、YouTubeなどで、ZARDの曲を聴く人は今でも非常に多いそうです。ZARDは今でも人気高く、坂井泉水さんは生前、メディアにほとんど姿を現してきませんでしたが、”綺麗なお姉さん”としての印象が強かったようです。
この動画を見ても分かるように、坂井泉水さんは今でもなお、ファンにたくさん愛されているのが良く分かります。
ZARDが今でも根強い人気なのは、坂井泉水さんの綺麗な容姿も人気の1つではないでしょうか。現在もなお、多くの人から、「負けないで」「揺れる思い」などZARDのヒット曲は今でも良く聴かれている曲だそうです。
ZARD坂井泉水の死因・死の真相・命日についてのまとめ
・坂井泉水の死因は自殺なのか事故だったのか未だに解明されていない
・坂井泉水の命日には毎年献花台が設置されて今でも多くのファンが訪れている、
いかがでしたでしょうか?
坂井泉水さんの死去の報道や、事故の真相、自殺と思われる不可解な事例などについてまとめました。
坂井泉水さんの死去から11年が経過しましたが、今もなお命日には献花台が設置され、訪れる人が大勢います。そしてこれまで大ヒットした曲も、今もなお聴かれ続けていました。
これからも、ZARDの曲を聴き、坂井泉水さんを忘れないでいたいですね!