ソロ歌手としても一世を風靡した”ジュリー”こと沢田研二さんの元嫁は伊藤エミさんですが、女優・田中裕子さんとの不倫の末に離婚をしています。
沢田研二さんと2人の嫁の馴れ初めから子供など現在までの情報について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
沢田研二が結婚した嫁・田中裕子との不倫劇について
沢田研二と田中裕子についてのプロフィール
昭和の大スター同士の略奪愛
沢田研二さんは1960年代後半から”ジュリー”と呼ばれて歌手として一世を風靡し、田中裕子さんは女優としてテレビ史上最高視聴率を叩き出すなど国民的女優として活躍したともに昭和の大スターでした。
沢田研二さんについての詳しいプロフィールはこちら。
出生名: 澤田 研二(さわだ けんじ)
別名: ジュリー
生年月日: 1948年6月25日
生誕地: 鳥取県鳥取市
出身地: 京都府京都市
学歴: 京都府立鴨沂高等学校中退
ジャンル: J-POP、ポップ、歌謡曲、グラムロック
職業: 歌手、俳優、作詞・作曲家
担当楽器: ボーカル
活動期間: 1967年 –
レーベル: ポリドール(1971年 – 1984年)、東芝EMI(1985年 – 2001年)、JULIE LABEL(2002年 – )
事務所: 渡辺プロダクション(1967年 – 1984年)、ココロ・コーポレーション(1985年 – )
共同作業者: ザ・タイガース、PYG、加瀬邦彦、早川タケジ
引用:Wikipedia – 沢田研二
田中裕子さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 澤田 裕子(さわだ ひろこ)
生年月日: 1955年4月29日
出生地: 大阪府池田市
身長: 160 cm
体重: 非公開
職業: 女優
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間: 1979年 –
配偶者: 沢田研二(1989年 – )
著名な家族: 田中隆三(弟)
所属劇団: 文学座(1978年 – 1985年)
事務所: アニマ出版
引用:Wikipedia – 田中裕子
沢田研二、1960年代後半から大スターとして活躍
沢田研二は現代で言う木村拓也
沢田研二さんが活躍した世代以外にとってはどれくらいすごい人物だったのか分かりづらいですが、当時を知るファンが言うには現代で言う木村拓也さんであり、「SMAPや嵐を一人に凝縮した感じ」とも言われているほど圧倒的な人気を集めていたようです。
沢田研二さんはグループサウンズ全盛期と言われる1960年代後半から伝説のバンド「ザ・タイガース」のボーカル・フロントマンとして活躍し、「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」などのヒット曲を連発し一気にスターダムにのし上がりました。
1971年1月24日に「ザ・タイガース」が解散し、その後沢田研二さんは萩原健一さんとのツインボーカルでロックグループ「PYG(ピッグ)」に参加しましたが、当時ロックは反体制派の受け入れられないジャンルと認識されていたためコンサートでは罵声や物を投げつけられるなど騒動が付き物だったようです。
結局、沢田研二さんgな「PYG」加入同時期となる1971年11月1日に発売されたファーストシングル「君をのせて」でソロ歌手デビューを果たしていたことから、セカンドシングル「許されない愛」のヒットとともに「PYG」の存在感は薄れていきました。
沢田研二が18歳位の時の映画
— 碧波 (@nemuspi) 2018年10月19日
深夜にしてたの観たけど
ストーリーもタイトルも吹っ飛んじゃったくらい
美青年過ぎてビビったんだよ。
キムタクなんか目じゃないほどだよ。
どうしたんだよ!
でも田中裕子さんの方が心配(;_;) pic.twitter.com/ys3jzrGOzL
沢田研二、「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミと結婚~息子は澤田一人
人気絶頂期に伊藤エミと結婚した沢田研二
沢田研二さんはソロ歌手としてフランスデビューするなど世界的に活躍していた1975年の6月4日に7年間の交際を実らせて女性デュオ「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさんと結婚しました。
「ザ・ピーナッツ」は「ザ・タイガース」よりも先にデビューし、1960年代に「恋のバカンス」「恋のフーガ」などのヒット曲を連発していた伊藤エミさん、伊藤ユミさんの双子によるデュオでした。
現在に置き換えると福山雅治さんが女優の吹石一恵さんと結婚した際には、”福山ロス(ましゃロス)”や”福山ショック”と呼ばれる社会現象を巻き起こしましたが、沢田研二さんと伊藤エミさんという大物スター同士の結婚も当時は祝福と同時に絶望する女性も多かったかもしれません。
沢田研二さんと伊藤エミさんの間には1979年に長男・一人(かずと)さんが誕生し、夫婦生活は順調に行っていたかに見えましたが、世間を驚かせた衝撃の不倫騒動が起きることになります。
ちなみに、沢田研二さんと伊藤エミさんのひとり息子・澤田一人さんは現在音楽業界で仕事をしていると言われています。
澤田一人さんは一般人なので、顔写真などは公開されておらず、現在は何をしているのかも不明です。
沢田研二、女優・田中裕子に心移りする
沢田研二は不倫により人気を失墜せることになった
沢田研二さんは姉さん女房として支え続けてくれた糟糠の妻である伊藤エミさんを裏切り、当時人気絶頂期だった女優の田中裕子さんと不倫に走ってしまいました。
田中裕子さんは1983年のNHK朝の連続テレビ小説『おしん』で主演を務めて平均視聴率52.6%、瞬間最高視聴率62.9%という日本テレビ史上で最高の視聴率を叩き出した国民的女優でした。
沢田研二さんは1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で田中裕子さんと共演したことがきっかけで惚れてしまったようで、伊藤エミさんという妻がいながら、情報雑誌などのインタビューでは好みのタイプの女性として田中裕子さんの名前を挙げるようになっていたようです。
沢田研二さんは自分の冠番組に田中裕子さんをゲストとして招待するなど、アプローチを続けていたと言われています。
沢田研二、女優・田中裕子との不倫が発覚
沢田研二は不倫を週刊誌に暴かれてしまった
沢田研二さんは1983年6月に週刊誌で「ジュリー、覚悟の不倫! 電車を乗り継ぎ記者をまく」というタイトルで田中裕子さんのマンションに通っているところが不倫として報じられ世間に衝撃を与えました。
沢田研二さんが何故世間からだいひんしゅくを受けると分かっておきながら田中裕子さんとの不倫に走ったのか現在まで謎だと言われていますが、「大人を惑わせる色気」が凄かったことが原因だと推察されています。
田中裕子は、デビューまもない頃、TVCMで世の男性たちを虜にします。レトロな着物を着くずし、とろけるようなハスキーボイスで、「タコが言うの…」と甘く語りかけるサントリー樹氷シリーズのCMは、おじさん世代の記憶に今も焼き付いていることでしょう。
田中裕子さんってね、実際、お会いになれば(男ならば)わかるんですが、すっごく魅力的なんですよ。。プロポーションはよく知りませんけど(好み好みがあるでしょうけど、まずまず普通でしょう、、)そして、何より、あの表情の素晴らしさ、アイコンタクトから溢れでる暖かさ、、男を安住の世界へと引き込んでいってくれますぅ。
田中裕子さんは正統派の美人というタイプではなく、現代の若い世代には受けは良くないと思いますが、当時の男性の好みのタイプには合致するタイプのようですね。
沢田研二さんは田中裕子さんとの不倫が週刊誌により発覚したことにより、それまでの女性ファンを中心に幻滅されてファン離れが加速し人気は失墜してしまいました。
これで女性ファンは激減。 私もジュリーが大嫌いになってしまいました。
こういうファンは本当に多かったんじゃないかな。
その記事を境にぱったりとベストテンには入らなくなりました。
それでも過去の蓄積もあって、紅白には出ていましたが、離婚。
その後紅白にもぱったり出なくなりました。
Yahoo!知恵袋に投稿された当時を知る元沢田研二さんのファンの女性のコメントですが、元ファンというだけにとても説得力があります。
沢田研二さんは田中裕子さんとの不倫発覚からの伊藤エミさんとの不倫で、歌手としてのブームは完全に去ってしまったようですね。
沢田研二・伊藤エミ・田中裕子の不倫三つ巴戦
沢田研二は二人の女性から取り合いとなった
沢田研二さんは田中裕子さんとの不倫が発覚したものの妻・伊藤エミさんは離婚を拒否したため、田中裕子さんとの争奪戦が始まってしまいました。
沢田研二さんを巡って伊藤エミさんと田中裕子さんの泥沼の攻防戦が始まりましたが、沢田研二さんの心が完全に田中裕子さんにありマンションで半同棲となっていたことから伊藤エミさんは1987年1月についに離婚を認めてしまいました。
伊藤エミさんは息子・澤田一人さんの親権と、慰謝料として自宅や伊豆の別荘を始めテニスコートなど、沢田研二さんが所有していた不動産を当時の時価総額18億1,800万円という芸能界史上最高額を引き換えに離婚しました。
田中裕子さんは伊藤エミさんからの略奪に成功しましたが、離婚直後に沢田研二さんの芸能界での育ての親だった渡辺プロダクションの社長が亡くなったことや、沢田研二さんの音楽活動が著しく低迷したためしばらくは再婚できずにいました。
1988年頃に田中裕子さんの父親が亡くなり、中々結婚しない二人にマスコミは破局説の噂も流し始めましたが、父親の一周忌を終えた1989年11月にけじめとして出雲大社で挙式しました。
略奪婚だったことから世間的に披露宴など公開されませんでしたが、田中裕子さんの日記から「私は沢田さんという大好きな神様に会えたことを感謝します」という言葉が流されたそうです。
しかし、会見で田中裕子さんが「私のために別れてくれて嬉しい」というコメントが世間からひんしゅくを買うことになりました。
ちなみに、沢田研二さんと田中裕子さんの間に子供は生まれていません。
現在、沢田研二は田中裕子とおしどり夫婦を続けている
沢田研二は田中裕子と幸せな老後を送っている
当時”ジュリー”と呼ばれて妖しい色気を振りまいていた沢田研二さんですが、現在はすっかり白髪でお腹が出た老人になっており、田中裕子さんと仲睦まじい夫婦生活を続けているところが週刊誌にキャッチされました。
2017年3月30日・4月6日号の女性週刊誌「女性セブン」では、沢田研二さんと田中裕子さんの日常について以下のように紹介しています。
「朝おふたりで散歩されたり、ジュリーさんが外出する時は必ず田中さんがお見送りに出てきます。
逆に田中さんが出かける時も、ジュリーさんが玄関まで出てきてね。本当に仲良し。ふたりで中華街に行くことも多いです。お子さんがいないからか、夫婦の時間が多いんですね。
ジュリーさんは家事も率先して手伝う方で、ゴミ出しは彼の仕事です。太っちゃったから、彼だと気づかない人もいるけど(笑い)」(近隣住人)
無骨で奔放な沢田研二さんを田中裕子さんはずっと横でニコニコしながら支えてきたようですが、田中裕子さん自身も伊藤エミさんから略奪してまで沢田研二さんと結婚したことは良かったようです。
《結婚して良かったと思いますね。独身でいるのと、両方やってみられたら一番いいんでしょうが(笑)。多分結婚しないでこういう仕事をしていたらしんどかったと思います。背負う荷物も、一人だと大変ですが、結構助けてもらっていると思います》
なお、沢田研二さんは2012年に開催された「ザ・タイガース」40年ぶりのライブで、楽屋に息子の澤田一人さんが訪ねてきたそうで、25年ぶりに再会を果たしたそうです。
澤田一人さんはライブで熱唱する父親の背中を見て「親父は凄い」と周囲に誇らしげに語っていたようです。
今話題の沢田研二さんですが…
— 鮎川タミー (@tammy_ayukawa) 2018年10月19日
今年の8月8日新大阪駅のベンチに座る
ジュリーと田中裕子夫妻。この年代の人はガラケーが多いのかな。地味で普通の感じですね。 pic.twitter.com/spyE16yUTa
沢田研二、2018年現在「ライブドタキャン騒動」を起こす
客が少ないことに激怒した沢田研二
沢田研二さんは2018年10月17日にさいたまスーパーアリーナで開催されるはずだったライブで、9,000人を動員する予定が7,000人しか集まらず激怒してドタキャンしてしまいました。
沢田研二さんがライブをドタキャンした理由について以下のように紹介されています。
「“ジュリーが勧める反原発の署名を会場に断られたから”との説もありましたが、実際は観客が集まらなかったことにジュリーがキレた」(沢田を知る関係者) 翌日、沢田は横浜市内の自宅前で「客席がスカスカの状態でやるのは酷。ぼくにも意地がある」と釈明した。
こうした事態が起きたのはチケット販売の運営側が通常よりも多い9000人規模で販売したため空きが出てしまったことが原因だったようで、結果的に沢田研二さんを辱める結果となったため運営側にも非があったようです。
しかし、楽しみにしていた7,000人ものファンを裏切ってライブをドタキャンしたことに沢田研二さんも申し訳ないと思っていたようで、同年10月21日の大阪「SAYAKAホール」でのライブでは2曲目を歌い終えて10分間の謝罪をしたようです。
「自分は頑固でどうしようもない人間。すべて沢田研二の責任です」、「私は厄介な人間です。あの日、神経が違和感を覚え心が揺れました。私はブレない人間じゃありません。いつもブレています」 約10分間の謝罪を終えると、大きな拍手が沸き起こった。その後は黄色い声援に応えるよう16曲を熱唱し、最後は客席への投げキッスでライブを終えた。完全燃焼だったのか、ライブ後、出待ちをしていたファンに対応せず無言で会場を後にした。
”ジュリーファン”にとってみればドタキャンを含めてライブで騒動が起きることはある程度覚悟しているのかもしれませんが、さいたまスーパーアリーナのライブを心待ちにしていたファンはがっかりだったことでしょう。
しかし、沢田研二さんは70歳を超えた現在も毎年全国66公演を開催し続けているようで、昭和の大スターは現在も変わらず大スターのようですね。
沢田研二が7000人しか入らなかったからライブ中止だと?
— 文明堂チョコラーテ (@chocohobo) 2018年10月18日
お前はプロか?
30年以上前に佐賀県武雄市であったRCサクセションのライブ。俺含めて10人くらいだったぞ。忌野清志郎すごく楽しそうにアンコール3曲くらい歌ってくれた。未だにあのライブを超えるものに出会ってない。
綺麗に呟いてきたつもりだけど無理だわ。言いたい事山程ある。一気に吐き出して終わろう。#沢田研二#ジュリー
— フェス姉さん (@spitz_spispi) 2018年10月21日
・ジュリー、SSAは自分には大きいと事前に忠告
・主催者側、9000人を確約
・客入り7000人を当日までダマテン
・約束が違うとジュリー
・土下座&泣き落としで情に訴える作戦
・公演中止
沢田研二と田中裕子の不倫略奪結婚について総まとめすると・・・
昭和を代表する大スターである沢田研二さんと田中裕子さんの不倫からの略奪結婚について総まとめしてきました。
・沢田研二と田中裕子に子供はおらず、一人息子・澤田一人とは25年ぶりに再会している
・沢田研二は現在も毎年精力的に全国66公演を開催している
沢田研二さんは田中裕子さんとの不倫・略奪結婚のあたりから人気が低迷しましたが、そのカリスマ性は現在までに健在のようです。
「脱原発」などメッセージを歌に込めて発信し続けている沢田研二さんですが、今後も病気をせずに故・西城秀樹さんのように生涯現役でスターとして活躍して欲しいですね。