1990年代から女優、歌手として芸能界の中心で活躍を続けてきた篠原涼子さん。
結婚した24歳差の旦那・市村正親さんとの馴れ初めは略奪愛だと言われていますが、離婚騒動や子供など現在までの様子について総まとめしましたのでご紹介します。
篠原涼子についてのプロフィール・生い立ち・経歴
女優、歌手として一世を風靡した篠原涼子
篠原涼子さんは音楽界の全盛期と言える1990年代に歌手としてブレークし、その後女優に転身してからも常に時代の中心で活躍を続けてきた一際強い存在感を放つ女優です。
篠原涼子さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 市村 涼子(いちむら りょうこ)
生年月日: 1973年8月13日
出生地: 群馬県桐生市
身長: 162 cm
体重: 非公開
血液型: B型
職業: 女優、歌手
ジャンル: テレビドラマ、映画、舞台、CM
活動期間: 1989年 –
配偶者: 市村正親(2005年 – )
事務所: ジャパン・ミュージックエンターテインメント
引用:Wikipedia – 篠原涼子
篠原涼子についての生い立ち
篠原涼子さんは3人兄弟の末っ子で、2歳の頃に母親を亡くしています。
そのため兄、姉とともに父子家庭で育ち、篠原涼子さんのどこか凛とした印象はそうした生い立ちから来ているのでしょう。
篠原涼子さんが市村正親さんと結婚することに父親は反対していましたが、認めてからは結婚式にも出席し、愛娘の花嫁姿を見届けた3日後に安心したのか亡くなりました。
篠原涼子についての略歴
篠原涼子さんが芸能界入りをしたきっかけは、1989年にオーディション雑誌『月刊デ・ビュー』に掲載されていた事務所のオーディションに合格したためで、同年10月のドラマ『高速戦隊ターボレンジャー(テレビ朝日系)』の第33話でエキストラとして出演しました。
現在の篠原涼子さんしか知らない若い世代は意外と思うかもしれませんが、元々アイドルであり1990年4月にアイドルグループ「東京パフォーマンスドール(TPD)」で本格的に芸能界デビューをしました。
知名度を得た篠原涼子さんは1991年12月からバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ系)』にレギュラー出演するようになりブレークしました。
そして、バラエティタレントや女優として活躍する一方で、1994年7月に小室哲哉さんのプロデュースにより「篠原涼子 with t.komuro」名義でファーストシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」をリリースし、202.1万枚のダブルミリオンを達成する大ブレークをしました。
以降、篠原涼子さんは多くのドラマ、映画、舞台に出演し、主演女優としても不動の地位を獲得してきましたが、2001年の舞台『ハムレット』で旦那となる市村正親さんと出会いを果たしました。
#篠原涼子
— 山下すわろう (@VSdlIC6k43w58Rk) 2018年8月31日
魅力ですか?デビューして間もなくはダウンタウンにいじられてる時の顔、小室哲哉サウンドを歌ってる時の顔、アンフェアーに出演してる時の顔、市村正親さんと結婚したときの顔、子供を出産して母になった時の顔と、キャリアを重ねて魅力が倍増以上に魅力が増してますね🍀
篠原涼子が結婚した旦那・市村正親との馴れ初めや結婚~現在まで
篠原涼子と市村正親が略奪愛と言われる理由
篠原涼子と市村正親の馴れ初めは情熱的?
24歳差という親子のような年齢差で結婚した篠原涼子さんと市村正親さんですが、その馴れ初めはとても情熱的で略奪愛だったと言われています。
略奪愛だと言われる理由は、篠原涼子さんとの熱愛が囁かれた頃に市村正親さんは同じ劇団四季に所属する妻・八重沢真美さんがいたためです。
篠原涼子さんと市村正親さんの結婚から現在離婚が囁かれている理由まで詳しく総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
劇団四季と言ったら篠原涼子の旦那の市村正親さんが有名だよね
— カリブの快楽 (@karibunokairaku) 2018年9月13日
舞台と言ったら京都で超有名な無声舞台のGEARってのがあるんだけど千葉市にも専用劇場が出来たから機会があったら行ってみて
篠原涼子と市村正親の馴れ初めは略奪愛?
篠原涼子さんは女優・歌手ともに充実していた全盛期とも言える2001年秋に、自身初となる蜷川幸雄さんが演出を務めた舞台『ハムレット』でオフィーリア役を務めました。
市村正親さんはハムレット役を務め、篠原涼子さんと初共演をしました。
舞台初出演で戸惑う篠原涼子さんを支えたのが、劇団四季の看板俳優で舞台をフィールドとしてきた市村正親さんでした。
舞台『ハムレット』ではハムレットとオフィーリアは結ばれることはありませんが、ともに舞台を作り上げる中で市村正親さんは娘ほど年齢の離れた篠原涼子さんに好意を寄せるようになっていったと言われています。
しかし、当時市村正親さんには同じ劇団四季所属の嫁・八重沢真美さんがいたため、篠原涼子さんは「不倫をしている」と世間からバッシングを受けるようになりました。
市村正親、嫁・八重沢真美とは夫婦仲が悪かった
市村正親と八重沢真美はすでに離婚危機にあった
市村正親さんが舞台『ハムレット』で篠原涼子さんと出会った頃は嫁・八重沢真美さんとはすでに夫婦仲が冷めて離婚危機にあったと言われています。
ちなみに、市村正親さんと八重沢真美さんの年齢も13歳差と離れており、市村正親さんは年の離れた女性が好きなようです。
2002年10月には市村正親さんと八重沢真美さんの別居報道がされて、篠原涼子さんとの熱愛が噂される中で2003年5月についに離婚しました。
市村正親さんと八重沢真美さんとの間に子供はいませんが、子供を作らなかった理由として八重沢真美さんは「いつか独身に戻る気がしていた」という旨のコメントをインタビューでしていたようです。
また、市村正親さんは篠原涼子さん以前にも女性関係がすごかったようで、大々的に不倫報道は無かったものの八重沢真美さんはずっと悩みの種だったようです。
なお、市村正親さんは離婚の理由として八重沢真美さんが劇団四季に復帰するために夫婦関係よりも仕事を優先したことだとコメントしていたようです。
篠原涼子の父親が市村正親との結婚に反対
市村正親さんの母親は篠原涼子さんとの再婚に賛成していたようですが、篠原涼子さんの父親は結婚に反対していました。
自分と同じくらいの世代である市村正親さんが愛娘と結婚するのは父親としては許せないものがあるでしょう。
篠原涼子さんは2歳の時に母親を亡くしているため親の記憶は父親しか無いと思いますが、男で一つでしっかり育て上げた娘の結婚に関しては、一般的な父親よりもその想いは強いでしょう。
篠原涼子と市村正親が結婚
父親に市村正親との結婚を許された篠原涼子
しばらくの間市村正親さんとの結婚に反対していた篠原涼子さんの父親ですが、条件を付けてついに結婚を許し出会いから約3年後に結婚しました。
篠原涼子さんの父親が結婚の条件として市村正親さんに突きつけたのは、早くに子供を作ることと生涯に渡って娘と一緒に過ごすことでした。
市村正親さんと2005年12月8日に結婚した篠原涼子さんは結婚発表の会見を開き、始終のろけた様子でコメントしていたようです。
テレビ局で会見を開いた篠原は「魅力的な人なら年齢なんて…」とのろけまくり。市村の魅力についても「明るくて、思いやりがあって、自分にないところをいっぱい持っていて」と饒舌だったのが印象深い。 プロポーズの言葉は「言えないです。言っちゃうともったいないから」と照れながらも、嬉しさが隠しきれない様子だった。
篠原涼子さんは物心付いてからずっと父親の手で育てられてきたことから、父親のように年齢の離れた市村正親さんの父性に安心感を覚えて惹かれて行ったのかもしれませんね。
願わくばいつまでもお元気で舞台に立ち続けていていただきたい。チャーミングなミュージカルキングとして!なので篠原涼子さんに健康管理等、心からお願いしたい!!って言ったら友人にどの立ち位置で言うてるん?と言われたw #市村正親
— ども。 (@mikecchi09) 2018年4月21日
篠原涼子と市村正親の子供が産まれる
篠原涼子さんの父親が出した結婚条件と、市村正親さんの母親の「早く孫の顔が見たい」という希望から、篠原涼子さんは結婚から約3年後となる2008年5月10日に第一子となる長男を出産しました。
この当時で市村正親さんは59歳と還暦を迎える直前でしたが、子供が生まれてからは禁煙して仕事終わりに毎回飲み歩きに行っていた付き合いごとも自粛し、良きパパに努めるようになりました。
市村正親さんが番組出演時に「将来は息子と一緒に舞台に立ちたい」と夢を語るなど好印象の父親像をみせていたため、子供の出産を機に結婚当時の略奪愛の批判は鳴りを潜めて篠原涼子さん共々株は上昇していきました。
篠原涼子の父親のために結婚式を挙げる
父親の死期に間に合わせた結婚式
篠原涼子さんと市村正親さんは結婚し、子供が生まれてからも仕事と育児で忙しい日々が続き結婚式は挙げていませんでしたが、闘病していた篠原涼子さんの父親に愛娘のウェディングドレス姿を見せるために極秘で結婚式を企画しました。
2010年8月に篠原涼子さんの故郷である群馬県内で、チャペル付きの結婚式会場を貸し切って双方の親族を招き簡易的な結婚式と食事会を開きました。
篠原涼子さんの父親はこのサプライズ結婚式に感動して涙ぐんでいたようで、式が終わった3日後に安心したように息を引き取りました。
そして、2012年2月22日には篠原涼子さんは次男を出産し、その翌日に見届けるように市村正親さんの母親が亡くなりました。
篠原涼子と市村正親の夫婦仲が悪化している?
篠原涼子さんと市村正親さんは現在まで長らくおしどり夫婦として知られてきましたが、2018年7月19・26日号の週刊誌「女性セブン」に始まり離婚危機を報じています。
記事によれば篠原涼子さんが6月下旬頃に焼鳥店の個室で年下のイケメン男性二人と食事していたようです。
さらに8月9日号の同誌では深夜のバーでママ友に向かって「私のことを分かってほしいのよー」と大声で叫んでいたようで、旦那・市村正親さんとの関係が良くないことを示唆する発言をしていたようです。
現在、篠原涼子と市村正親は離婚に向かっている?
親権をめぐって弁護士を立てている?
篠原涼子さんと市村正親さんの夫婦仲をめぐっては2018年春頃から悪化しているという噂があったようで、それは子供の教育に関する意見の対立が理由だったようです。
問題となっているのは、篠原涼子さんが次男の青山学院初等部の受験を終えた直後に舞台で女優として復帰したことにあるようで、市村正親さんは子育てよりも仕事を優先する考え方に怒りを感じているようです。
「市村さんは子育てに関して非常に厳格な方です。常々、篠原さんには『君が仕事をするのは決して止めやしない。しかし、最優先するのはあくまで子育てであって、仕事が先に来ることは許せない!』とクギを刺していたそうです。それが突然の舞台復帰ですから、市村さんは本当に驚いたと思います。確かに次男のお受験が無事に終わったとはいえ、篠原さんの舞台復帰は早い印象もします」
そして、あるテレビ関係者の話では子供の親権を巡ってすでに弁護士を立てていると語っているようで、協議離婚の準備を始めているかのような噂もあるようです。
しかし現時点で離婚に関する報道に信ぴょう性は感じられないため、篠原涼子さんと市村正親さんはこれまで起きてきたと思われる子育てに関する喧嘩同様に解決していくことでしょう。
井上公造リポーター、離婚危機報道の市村正親、篠原涼子夫妻の離婚可能性を生放送で断言
— John (@sab564aurd_735) 2018年9月8日
日本人の推し夫婦は篠原涼子、市村正親夫婦です
— きゃた (@ktr_zt) 2018年9月14日
女優・篠原涼子について総まとめすると・・・
・篠原涼子は1990年代からアイドルや女優、歌手などで活動してきた
・篠原涼子は市村正親と2005年に結婚し子供を1人授かっている
・篠原涼子の現在は2018年8月に居酒屋で旦那への愚痴をこぼしてキャッチされていた
1990年代からアイドル、女優、歌手として一世を風靡してきた篠原涼子さんについて総まとめしてきました。
2018年8月に報じられた深夜のバーでの一件は、たまたま篠原涼子さんが市村正親さんに対して愚痴をこぼしている姿をキャッチされただけで、まだ離婚騒動に話を広げるのは早いのかもしれません。
亡き父親のためにも篠原涼子さんと市村正親さんは離婚せずに生涯おしどり夫婦で過ごして欲しいですね。