内閣総理大臣・安倍晋三さんと妻・安倍昭恵さんの名前を聞かない日が無いほど森友問題などで今日本は大いに揺れています。
今回はお二人の馴れ初めや結婚、そして現在に至るまでの活躍や活動を振り返り、子どもがいない理由も紹介します。
この記事の目次
安倍晋三さんのプロフィール
プロフィール
出典:https://www.asagei.com/
生年月日:1954年9月21
出身:東京都新宿区
出身校:成蹊大学法学部政治学科卒業
血液型:B型
身長:175cm
体重:70kg
経歴
外務大臣などを歴任した安倍晋太郎さんの三男として生まれ、母方の祖父は元総理大臣であった岸信介さん、その弟は衆議院議員の岸信夫さん。
そして大叔父には佐藤栄作さんという、政治家一家です。
安倍総理が政治の世界へ飛び込んだのは、1982年に外務大臣であった父晋太郎さんの秘書を務めたことからでした。
1991年、晋太郎さんが急死したことで、その地盤を継いだ安倍さんは衆議院選に出馬し初当選しました。
2003年には自民党幹事長に抜擢されるなど、政治家としての実力を見せつけ、2006年には戦後最年少で内閣総理大臣に就任しました。
安倍晋三さんの学生時代
安倍晋三さんは、超難関とされる成蹊高校に、小学校、中学校を経て高校へ内部入学しています。
そのままエスカレーター式に成蹊大学へ進み、小学校から一度も受験をしていません。
歴代総理大臣の中では異例と言われています。
政治家一家に生まれ、父や祖父はみな東大出身で、父の晋太郎さんからは東大へ行くように言われていたようですが、兄も成蹊大学、弟は慶応大学に進みました。
大学卒業後には、南カリフォルニア大学へ留学し、政治学を学びますが2年で中退し、帰国した安倍晋三さんは神戸製鋼へ就職しました。
政治家へ転向してからは、みるみるうちに内閣総理大臣にまで上り詰めたのです。
安倍昭恵さんのプロフィール
プロフィール
出典:https://www.sora-ten.com/
名前:安倍昭恵(旧姓:松崎)
生年月日 :1962年6月10日
出身:東京都
出身校:聖心女子専門学校、立教大学大学院
血液型:O型
父親:松崎昭雄
経歴
森永製菓の社長・松崎昭雄さんを父に持ち、森永創業家である森永家との繋がりか深い家系に生まれます。
立教大学大学院を卒業後、電通に就職したのちに、安倍晋三さんと出会い結婚。
2006年にはファーストレディとなりました。
内閣総理大臣夫人としては少し異色とも言える、活発で自由奔放な性格で知られ、ラジオパーソナリティや居酒屋の経営なども手がけていました。
その自由さが仇となり、森友学園問題ではキーパーソンとして国会でも度々名前があがり、SNSでの言動にも注目が集まっています。
安倍昭恵さんは居酒屋の経営者でもある!
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安倍昭恵さんは、ファーストレディでありながら、自身もかなり行動力のある性格で様々な社会活動に参加しています。
そして、東京の神田で庶民的な居酒屋「UZU」を経営していることも大変広く知られています。
夫・晋三さんの地元である山口県の特産物を使い、無農薬、無添加など素材の良さにこだわっているそう。
山口県の郷土料理や厳選された素材を活かした食事は、美味しくて庶民的だと評判です。
この「UZU」は、なんとあのオバマ元米国大統領の妻・ミシェル夫人も訪れ、昭恵夫人と意見交換を交わしたんだとか。
大統領夫人の舌をもうならせたという食事が、どんなものかとても気になりますよね。
東京の下町にある庶民居酒屋、ぜひ一度足を運んでみたいですね。
安倍晋三さんと安倍昭恵さんの馴れ初めは?
2人の出会い
出典:http://biz-journal.jp/
1987年に結婚したお2人ですが、馴れ初めは上司からの紹介がきっかけだったそうです。
そしてなんと2人の出会いは、1984年、原宿のパブだったそう。
当時電通に勤めていた昭恵さんは、安倍晋三さんと共通の友人である上司から、「いい人がいる。会ってみないか」と言われ紹介されたそうです。
初対面で、話が合い盛り上がった2人は、その後ゴルフへ行ったり食事へでかけて愛を育んでいきました。
政界と老舗製菓メーカーという全く違う世界に住んでいた2人ですが、お互いの話にそれぞれが引き込まれていきました。
たまたま知り合いを通じて出会ったのが、政治家一家のサラブレッドと、森永製菓創業家の令嬢とは、なんとも豪華ですよね。
政略結婚のように思えるほどの立派なお家柄の2人ですが、そうではなく、恋愛結婚だったようです。
昭恵さんへの第一印象は?
安倍晋三さんから昭恵さんへの第一印象は、実はあまり良くなかったそうです。
その理由は、初めて昭恵さんに会ったパブに、昭恵さんは30分も遅れて到着したそうです。
「8歳も年上の自分をずいぶん待たせるな」と、初めはむっつりしていたことを安倍晋三さん自身も当時のことを振り返っています。
しかし、遅刻したこと以外は印象は良かったようで、会話はとても楽しくて非常に面白いと感じていたそう。
そのため、第一印象こそ悪かったものの、ゴルフや食事に誘ったり、その後は安倍晋三さんからアプローチしていったそうです。
安倍晋三さんへの第一印象
反対に、昭恵さんから安倍さんへはどのような印象を抱いたのでしょうか。
友人を介して安倍晋三さんに出会った際には、政治家一家の御曹司というだけで気が引けてしまい、結婚どころかお付き合いすることさえも全く乗り気ではなかったようです。
「ご飯だけですからね!」と念を押した上で、嫌々会うことになったそうですから、30分も遅れての登場になってしまったのはそのせいかもしれませんね。
会う前は乗り気ではなく、また会ってからも結婚する気もお付き合いする気も全くなかった昭恵さんですが、安倍晋三さんとお話しするうちに、とても面白い人だと感じたそう。
安倍晋三さんの父・晋太郎さんは当時外務大臣で、晋三さんはその秘書官を務めていたため、各国を飛び回る生活をしていました。
自分が生きてきた世界とは全く別世界の安倍晋三さんの話に、どんどん引き込まれていったのです。
1987年6月に結婚
出典:http://biz-journal.jp/
昭恵さんの上司から紹介され出会った2人ですが、紹介という名のお見合いだったわけです。
お見合いは、早ければ1年以内には結婚するカップルが多いものですが、2人が結婚したのは、出会いから3年が経ってからでした。
父・晋太郎さんの秘書官として世界中を飛び回っていた多忙な安倍晋三さん。
まだ身を固めるという決断ができなかったのか、忙してくて結婚など考えられなかったのか、なかなか煮え切らない態度を示していたと言います。
反対に、初めは全く乗り気ではなかった昭恵さんの方が、安倍さんにぞっこんになってしまっていました。
結婚に踏み切れずにいた安倍晋三さんが結婚を決意したのは、安倍晋三さんの母からの強いプッシュがあったようです。
実はこの頃、安倍晋三さんの母方の祖父である、岸信介さんが風邪をこじらせ入院していました。
「昭和の妖怪」とも呼ばれた元総理大臣の岸さんが存命のうちに、結婚式を挙げるように母親から強く言われたのです。
一方、昭恵さんの実家である森永製菓も創業以来最も過酷な時期を迎えていました。
1984年に起きた「グリコ・森永事件」の影響で、窮地に立たされていた森永製菓。
昭恵さんの母である松崎恵美子さんは、その当時のことを、「本当につらくてつらくて」と語っています。
そんな大変な時期に、政界のサラブレッドである安倍晋三さんと昭恵さんの交際は松崎家にとって一筋の光だったと言います。
こういった状況が重なり、2人の結婚の日は急に決まったそうです。
1987年6月、岸さんが亡くなる直前に2人は新高輪プリンスホテルで挙式しました。
披露宴では、安倍晋三さんの希望により、学生時代から大ファンだったというアグネス・チャンさんが「草原の輝き」を歌ったことも話題となりました。
安倍晋三さんと安倍昭恵さんの結婚後~現在!
昭恵さんは、結婚当初、まさか自分がファーストレディになるとは思いもよらなかったと言います。
しかし、安倍晋三さんは異例のスピードで内閣総理大臣にまで駆け上がり、2006年1度目のファーストレディとなった昭恵さん。
同年10月には、安倍晋三さんの韓国・中国訪問に付き添い、外交デビューも果たしました。
それ以降、海外訪問の際は必ず安倍晋三さんに付き添い、積極的にファーストレディとして外交に関わりました。
しかし、様々なスキャンダルや、国会運営における失敗をマスコミからの追求されたことなどで、2007年には参議院議員選挙で歴史的惨敗をきしてしまいます。
そして、安倍晋三さんはずっと患っていた病が悪化し、体調を崩してしまうのです。
求心力を失い、2007年9月に内閣総理大臣の職を辞することを公表。
医師団からは、かなり衰弱した状態であると発表され、入院生活を余儀なくされました。
そんな夫を支える昭恵さんは、病床の安倍晋三さんに政界引退を勧めたそうです。
しかし、「与えられた職務を全うする」と言って聞かなかったようです。
体調の回復とともに、活動を再開した安倍晋三さんは、2012年自由民主党総裁選挙に出馬し、その後の衆議院議員選挙で圧勝。
2度目の内閣総理大臣に就任することになったのです。
2度目のファーストレディとなった昭恵さんですが、「50歳からは自由にやらせてもらう」などと周りに公言していたようです。
その言葉通り、これまで以上に社会活動に積極的に取り組むようになりました。
またその活動の一環か、人脈を広げていった結果、森友学園問題が起こってしまいます。
昭恵さんの名が大きく取り沙汰され、逮捕者、自殺者まで出てしまう問題へと発展し、現在も騒ぎは収束しないままです。
安倍晋三さんと安倍昭恵さんご夫婦に子どもがいない理由とは?
安倍晋三さんと昭恵さんの間にはお子さんがいらっしゃいません。
家柄が立派であるお2人ですから、結婚当初から政略結婚だと言われ、昭恵さんの自由奔放な行動もあって、2人は仮面夫婦だとも揶揄されることが多かったそうです。
そのため、2人の間には子どももいないではないかと憶測がとんでいます。
しかし、安倍晋三さんが公務から解放される年末年始などには、2人は片時も離れず、一緒にゆっくりと過ごす姿が目撃されています。
また、映画鑑賞、食事、地元山口への帰省なども共にするなど、一般的な夫婦そのものと言えます。
むしろ、どちらかと言えば仲のいい夫婦と言えるお2人ですから、不仲が原因で子供がいないというのは考えにくいですね。
2人の間に子供がいないのには違う理由がありました。
子供がいない原因は昭恵さんの不妊症
出典:http://不妊治療ガイド.jp/
24歳で結婚した安倍昭恵さんは、当初はいつか自然に子どもは授かるものだと楽観的に考えていたそうです。
しかし、そんなに簡単なものではなく、昭恵さんは不妊治療を始めました。
夫が政界に身を置いているため、地盤を継ぐ後継者が必要だと、周りからはひどいプレッシャーを与えられていたそうです。
ただ、安倍晋三さんには弟がいて、そちらの夫婦には息子がいましたから、安倍家の後継に関しては義両親から強く催促されることもなかったようです。
また、昭恵さんの両親からもプレッシャーを受けるということはなかったようです。
問題は、安倍晋三さんの支援者からのプレッシャーでした。
あるインタビューに答えていた昭恵さんは、安倍晋三さんとの馴れ初めや普段の生活について明るく話しましたが、不妊治療をしていた頃の話になると時折、涙を見せながら語りました。
選挙区の後援者との酒席では、「嫁として失格だ」「俺が教えにいっちゃる」などと責められた過去を明かしました。
政治家一家に嫁いだ奥様として洗礼を受けた思いですよね。
心無い後援者からの言葉に傷つき、2人は養子をとることまで考えたそうです。
しかし、そこまでして子どもにこだわる必要があるのか、育てられるのか、と悩んだ挙句、2人は養子をとらず2人で生きていく決断をしたのです。
今ではもう吹っ切れたという昭恵さんですが、当時は相当辛い思いをされたようですね。
今でこそ、不妊治療という言葉も広く知られるようになりました。
しかし当時はおそらく、まだまだ「女は子どもを産んでこそ」という固定観念が強かったため、周りからのプレッシャーは相当なものだったはずです。
政治家一家に嫁ぎ、後継者を産まなければいけないというプレッシャーから、ストレスは相当なものだったでしょうし、それがまた不妊につながった可能性もあると考えると悲しいですね。
子どもを諦め、吹っ切っていくのには、かなりの時間と覚悟が必要だったのではないでしょうか。
安倍晋三と安倍昭恵についてのまとめ
・安倍晋三と安倍昭恵は上司からの紹介で1987年6月に結婚
・結婚後は、2007年9月に内閣総理大臣を辞するも2012年に再任
・2人の間に子供がいない理由は、昭恵さんの不妊治療が原因
去年から解決の糸口が見えない森友学園問題。
安倍総理の姿をテレビで見ない日はないですね。
そして同時に、昭恵さんの名前もよく聞かれるようになりました。
今まであまり知られていなかった2人の馴れ初め、そして結婚。
仮面夫婦だと叩かれながらも、仲睦まじい姿を見せる2人の間には、お子さんがいないというのも驚きですね。
多くのプレッシャーの中で傷つき、不妊症を乗り越え、2人で生きて行く覚悟をしたお2人が、今後国会の場できちんと納得のいく答えを出してくれるのを期待しています。