2011年5月11日に自殺により命を絶ってしまったグラビアアイドルの上原美優さん。「貧乏アイドル」として大ブレークした矢先のことでした。彼女に一体何があったのでしょうか?
今回は上原美優さんの自殺の真相や、話題となった遺書、関東連合との噂についてまとめました。
この記事の目次
上原美優さんのプロフィール&経歴
上原 美優(うえはら みゆ)
本名: 藤崎 睦美(ふじさき むつみ)
誕生日: 1987年5月2日
没年月日: 2011年5月12日
出身地: 鹿児島県熊毛郡中種子町
愛称: みゅうみゅう、美優ちゃん
「貧乏アイドル」として一躍有名になった上原美優さん。
上原美優さんの生前の芸能界での活躍はこちらになります。
2006年:フォーミュラ・ニッポン「ディレクシブレーシングガールズ」としてレースクイーンデビュー(チームの突然の撤退により第5戦までで活動終了する)
2007年:「sabraブロガール選手権」出場
(その後、「種子島出身の貧乏アイドル」としてブレークする)
(同年):クリスマスに恋人に振られたことで睡眠薬を服用し自殺を図る(当時20歳)
2008年:テレビのバラエティ番組に多数出演するようになる
2009年:自叙伝「10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、イケナイ少女だったんでしょうか?」を出版
2010年:(2月28日)東京マラソン2010に参加(スタートから25km地点でリタイヤ)
「貧乏大家族」で有名になった上原美優さんの生い立ちは
壮絶すぎる生い立ち…
上原美優さんといえば「大家族貧乏」で有名でしたが、12人家族という大人数で、家計は困窮を極めていたそうです。
上原美優さんの貧乏な生い立ちをまとめました!
・下着が足りず中学までノーパンで通学した
・種子島宇宙センターでのロケット打ち上げ時、振動で家が揺れるため、家族全員で家具を支えた
・雨が降った日は雨漏りがすごく、家の中でも傘を差さないといけない
・幼稚園に通うことができず友達も少なかった為、帰宅途中の園児を家まで誘い、その園児と一緒に遊ぶ生活を送っていた
・給食費も払えず、半年遅れで支払いしていた
・中学卒業後、種子島を離れ鹿児島市内の高校へ進学(藤崎家のルールのもと)
・自ら学費を稼ぎながら高校に通学していた
これらのエピソードから、上原美優さんの生い立ちがどれだけ壮絶で、いかに極貧な生活を送っていたのかが伺えます。
https://www.youtube.com/watch?v=TVMwuuTKnf0
自殺願望が昔からあった?上原美優さん自殺までの経緯
ブレークしても消えていく人が多い芸能界、そのなかでも当時大ブレーク中だった上原美優さん。何故、自殺という道を選ばなくてはいけなかったのでしょうか?
実は、以前にも”自殺未遂”をしていた過去や自殺願望があったようでした。
上原美優さんの自殺に至るまでの経緯をまとめました。
芸能デビュー後、1度目の自殺未遂
前にも1度自殺を試みていたことがあった…
上原美優さんは高校を退学後、レースクイーンとして活躍していましたが、この当時も心は消耗していて、1度目の自殺未遂を図っていました。
上原美優さんは、上京後、芸能事務所「プラチナムプロダクション」に所属し、2006年からフォーミュラ・ニッポン「ディレクシブレーシングガールズ」のメンバーとしてレースクイーンを始めています。
しかし、フォーミュラ・ニッポンがレース途中で撤退してしまったことで、第5戦で上原美優さんはレースクイーンの仕事が無くなってしまうのです。
また、2007年に雑誌「sabra」の「ブロガール選手権」に出場するなど芸能活動をしていましたが、同年クリスマスに彼氏に振られてしまったことを苦に、大量の睡眠薬を飲んで自殺未遂を図るも一命を取り留めたのでした。
母の死で、また自殺願望が…
著書:「10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、イケナイ少女だったんでしょうか?」
上原美優さんは、2009年5月に自伝である著書「10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、イケナイ少女だったんでしょうか?」を出版し大ヒットしました。
この本のは、上原美優さんが両親にも打ち明けられなかった心の闇も綴っていたそうで「泣きながら書いた」と語っていました。
そんな矢先、最愛の人が天国に旅立ちます。
タレント上原美優(22)の母藤崎イチ子さんが先月29日に心筋梗塞(こうそく)で亡くなっていたことが3日、分かった。65歳だった。通夜、葬儀・告別式は近親者のみで、自宅のある鹿児島・種子島ですませた。イチ子さんは先月28日に突然体調を崩し、翌29日に他界。上原は同日の仕事中に都内で悲報を聞いたが、取り乱すことなく、テレビ出演などを気丈にこなしていたという
上原美優さんは仕事の関係で、母の死に目には立ち会えず、突然の別れにかなりショックを受け、この頃より情緒不安定になっていったと言われています。
上原美優さんの死因は首つり自殺…
自殺した動機は何だったのでしょう…
上原美優さんは、自殺した当日、彼氏と思われるブランドショップの店員をしていた男性が上原美優さんの部屋に泊まりに来ていたそうです。
元気がなかった上原美優さんを心配していましたが、徐々に元気を取り戻したようで、安心していると、上原美優さんから「今日感じたことを書いておきたいから2時間くらい外に出ててくれる?」と言われたそうです。
彼氏は、近所のネットカフェで時間を潰していると、上原美優さんから電話で「あと1時間ちょうだい」と言われ、様子がおかしかったためすぐに部屋に戻ると…
彼氏間に合わず…
彼氏が家に戻ったときには、上原美優さんは自室のドアにベルトとスカーフを使って首吊りをしていた後だったようで、すでに息はしておらず、彼氏が救急通報をするも帰らぬ人となってしまったのです。
上原美優さんは、搬送先の病院で2011年5月12日午前3時37分に死亡が確認され、後に現場検証から自殺だと断定されました。
上原美優さんの死因は、頸部圧迫による窒息死でした。上原美優さんお葬儀は地元の種子島で5月15日に身内により執り行われ、享年24歳という若さでした。
話題になった上原美優さんの遺書と自殺の真相
大ブレーク中だった上原美優さんの突然の自殺、そして現場に残されていたとされる遺書とみられるメモについてネット上では様々な憶測が飛び交いました。
どうして自殺という道を選んでしまったのか?上原美優さんを自殺まで追い込んだ本当の真相について調べてみたいと思います。
遺書?のようなメモとは
上原美優の自殺後に話題になった遺書とは…
タレントの上原美優さん(24)が12日未明、東京都目黒区内の自宅マンションで首をつり死亡したことが同日、警視庁目黒署への取材で分かった。同署は室内から遺書のようなものが見つかったことなどから自殺の可能性が高いとみている。
こちらは、日本経済新聞の記事ですが、ここにあるように、現場から見つかったとされる遺書の存在が報じられました。
そして、自殺後数年してから、遺書として”解読不明”とされる謎のメモが残されていたいたとネットを中心に広まり、解読しようと試みた人も多くいました。
本当に上原美優さんが書いたものかは、疑問が残りますが、メモの文末は「ホントーにアリガトウ」という風にも読み取ることができたため、なおのこと上原美優さんの遺書だと騒がれてしまったのかもしれません。
遺書の真相1:メモは他人のものだった
遺書とみられるメモは他人のものだった?
上原美優さんの”遺書”として世間から騒がれていた”メモ”ですが、メモの所有者が名乗り出たことで、上原美優さんの遺書ではないことが判明しました。
そもそも、上原美優さんの遺書だと騒がれていたメモは、警察が押収したものでもなく、いつからか突然、上原美優さんの”遺書”として流出したものだったのです。
また、この遺書と見られるメモがネット上で騒がれるようになったのは、上原美優さんの死後3年が経過した頃で、2ちゃんねるやまとめサイトなどで拡散され世間に広まっていったとみられます。
上原美優さん亡くなってもう6年で今生きてたら30歳だと思うとしんどすぎる。あと、いまさらだけど上原美優のメモってデマだったんだね……。
— いっちゃんとか、ヒロとか (@ichgw) 2017年8月2日
また、ネットではどんどん面白くおかしく、このメモがまるで本当に上原美優さんの遺書であるかのように、生前、上原美優さんが種子島ロケで訪れた、森の中の小屋を紹介した時の壁面に同じような文字が書かれていたという情報も出回り、自殺は”オカルト話”として心霊サイトなどでも取り上げられるようになってしまいました。
遺書の真相2:メモの持ち主は赤星たみこの父親だった
原美優さんの謎の遺書騒動を巡って、2014年11月8日に漫画家の赤星たみこさんが問題のメモは父親が遺したメモだったことを明かしています。
漫画家:赤星たみこさん
漫画家の赤星たみこ氏が、上原美優さんの遺書について、2008年に亡くなった自身の父親のメモ書きが、上原美優さんの遺書として広まったことで、広まった経緯や父の遺書を悪用された怒りなどをブログ記事に綴りました。
赤星氏は、大手掲示板にある上原さんのスレッドのリンクを貼ったうえで「763番目の投稿に私の父の遺書の写真のURLが貼ってある」「上原さんの死の翌日の16時半だから、おそらく、ネット上で彼女の死と私の父の遺書が最初に関連づけられたのは、この投稿なのだと思う」と、流用の発端を推測をしている。
この遺書画像の流用について、赤星氏は「いったい誰が、いつ、何のために、私の父の遺書を流用したのか。それも、面白おかしく、勝手な解釈まで付けられて」と、ブログ記事で怒りをあらわにしている。また、赤星氏は、漫画家として出版に携わってきた立場から「一般の方ならまだしも、出版関係の人たちまでもが信じて、それを大前提としてでっち上げ記事を書くなんて」と、喪失感を綴っている。
[父の遺書と上原美優さん] http://t.co/3wLDpit2wD 父が亡くなる直前に書いたメモが上原美優さんが書いたものとして出回っていますが、それはでっち上げのウソ記事ですから。父のアロハシャツの上に載せたメモを、私が撮影したものです。
— 赤星たみこ (@tamikong) 2014年11月9日
今回、赤星たみこさんが、父の遺書の画像を流出させた犯人は、2ちゃんねるの自殺関連スレッドの住人であり、上原美優さんの部屋で解読不明なメモが見つかったと報じ、スレッドに投稿され、それを見た方達の間で勘違いが一人歩きしてしまったと思われます。
さらには、オカルト雑誌までもが”上原美優さんの遺書”として紹介したり、出版関係の人たちもその情報を信じ記事を書いたことで、さらに赤星たみこさんの逆鱗に触れることとなりました。
自殺の真相1:大好きな母を追い自殺した…
自殺したきっかけは最愛の母親の死?
上原美優さんが自殺したきっかけとなったのは、最愛だった母の死が影響しているのではないか?と言われています。
生前愛用していた上原美優さんの手帳には、「お母さんが死んで辛い、このまま仕事しても先行きどうなるかわからない」という悩みが書き記されていたそうです。
上原美優さんは、芸能界で活躍し、両親に早く楽をさせてあげようと頑張っていた矢先に、突然最愛の母を亡くし、自暴自棄になってしまったようでした。
それ以降は、母親が突然いなくなったしまったことで、上原美優さんのポッカリと空いてしまった心の隙間を、男性で埋めようとしていたそうです。
「お母さんが亡くなってからというもの、上原さんは自分を支えてくれる男性を常に追い求めていたようです。芸能界では彼女と多くの男性お笑いタレントが噂になりましたが、それも全部“早く明るい家族を作りたい”という彼女の焦りからだったように思います。多くの失恋を繰り返した後、最後に交際していたのは、変わり果てた姿の上原を発見した26歳の男性でした」
自殺の真相2:東日本大震災が影響している?
(※東日本大震災の新聞の画像があります)
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、関東圏を含め甚大な被害に繋がりました。
上原美優さんは、直接的な被害は被っていなかったようですが、連日報道される津波の映像に情緒不安定になっていたようです。
2011年3月11日:東日本大震災
上原美優さんが自殺したおよそ2ヶ月前に、東日本大震災が起きていました。
連日被害状況が報じられれ、一部番組では、シミュレーションと称して、関東圏を津波が襲った場合の映像などを公開し、全てのテレビ局が飲み込まれる映像を見た上原美優さんは、恐怖のあまり東京からの脱出を図ったと言われています。
上原美優さんは、3月下旬ころまで鹿児島の実家に身を寄せ、その後東京に戻ってからも津波の映像を見るたびに情緒不安定になっていきました。
自殺は、震災報道が続く間は減少傾向にありましたが、報道が“復興”に転じた5月以降、うちへの相談電話が急激に増えた。被災者の方たちの状況に同情しても、彼らに救いの手が差し伸べられる様子を見て自分自身の孤立を余計に意識したんでしょう。震災後の社会不安と相まって、その不安感はより深刻になっています
東日本大震災の甚大な被害の様子に、胸が締め付けられる思いだった上原美優さんは、現地に行き被災者を助けたいと思っていたようですが、実はこの頃すでに上原美優さんこそ人の助けが必要なほどで、精神的に追い詰められている状況だったようです。
思い返してみると、当時上原美優さんは、収録現場で突然号泣き出しトイレに篭もったり、出てきたと思えば異常なほどのハイテンションだったりと、極端な精神状態にあったようです。
このことから、上原美優さんは”双極性障害”に悩んでいたのではないかと言われています。
自殺の真相3:関東連合の元OBと交際していた
元関東連合OB・石元太一は元カレ?
上原美優さんは以前、元関東連合OBでリーダーの「石元太一」さんと交際していたと週刊誌に噂されたことがあります。ちなみに、自殺した当時に交際していたのは、ブランドショップ勤め方だったので、その前の彼氏が石元太一さんではないかと言われています。
上原美優さんは自殺時、その頃交際していた彼氏のことは本当は好きではなく、元彼氏だった元関東連合のリーダーだった石元太一さんのことを忘れられずにいたというのです。
関東連合とは、1980年代頃から日本最大の暴走族「ブラックエンペラー」を中心に結成された
半グレ集団のことで、関東連合のトップだった石元太一さんは2012年9月に起きた「六本木クラブ襲撃事件」に関与した疑いで逮捕されていて、懲役15年の実刑判決を受けて現在東京拘置所に収監中です。
週刊誌によると、上原美優さんが当時「貧乏アイドル」として売れっ子だったことで、評判の悪い自分が交際していると芸能活動に支障をきたすと考え、石元太一さんは身を引いたと言われています。
上原と石元は昨年破局したと一部で伝えられたが、これは海老蔵事件直後に、石元が上原サイドに気を使ったためだった。あのとき石元は「彼女に迷惑掛かるとヤバイから、別れたことにして構いません」と上原の事務所に話していたのだ。
実際に別れたのは「今年2月ごろ、いや連絡を取っていたという点だけを見れば、上原が自殺する1~2週間前までは何らかの形でつながっていたはず」と事情通は語る。しかも、石元逮捕時に発覚したのは「石元がモデルの藤井リナと交際していたこと」(同事情通)だった。さらに「石元とリナが付き合い始めたのは最近のこと。上原さんはこの事実を知って、かなりショックだったんじゃないかな。
自殺の真相4:島田紳助&有吉弘行が関係している
島田紳助さんが関与している?
上原美優さんの自殺について調べると、「島田紳助さん」の名前が必ずあがってきます。
その理由となったのは、上原美優さんが残した遺書から島田紳助さんの名前が出たと報道されたことからでした。
島田紳助さんは、実は業界内では「新人タレントを喰う」としてかなり有名で、自分のお気に入りのグラビアアイドルや売り出し中の新人がいると、自分がキャスティングしてひな壇に座らせ、収録後に口説くというスタイルが、島田紳助さんのお決まりパターンと言われています。
上原美優さんもまた、島田紳助さんに気に入られていた一人とされていて、上原美優さんのブレークが継続したのは、枕営業のおかげだと陰で囁かれていました。
紳助はかなり上原のことを気に入っていたらしく、番組にも積極的に登用していた。上原にとっても悪い話ではなかった。
「周囲が警戒して近づいてこないのに、紳助は接近してくる。二人が親しい仲に発展していったことは、テレビ界では有名でした」
有吉弘行が関与している?
上原美優が亡くなった直後のことです。
とあるテレビ番組で、有吉弘行さんが上原美優さんにたいし、自殺を勧めていたという話が、Twitterで拡散されたのです。
しかしこれはまったくの”デマ”だったのです!毒舌キャラとして有名な有吉弘行さんだけに、この当時、信じた人もたくさんいたようで、有吉弘行さんに誹謗中傷が書き込まれる事態となりました。
上原さんの死が報じられてすぐ、2011年5月12日午前のうちに17歳の学生だという人物から「【速報】こないだロンハーで有吉が上原に自殺するように勧めてた.」という呟きがツイッターに投稿された。
このデマが発端となり、有吉さんのツイッターアカウントには、「遠回しでしたが、上原美優ちゃんが自殺したのは、有吉さん、間違いなくあなたのせいです」「有吉さんがぼろくそ言ったせいで上原美優さんが自殺しちゃったじゃないですか!」といったいわれのない中傷が寄せられた。
Twitterを投稿した本人は、その後「ソース確認せずにデマ書いて本当にすいません」「有吉さん、上原さんには、本当にご迷惑をお掛けしました」と謝罪しました。現在はその方のアカウントごと削除されているそうです。
有吉弘行さんは、誹謗中傷に反論しませんでしたが、デマのツイートが拡散された翌日「さあ起床。それでもやっぱり人が好き」と投稿していました。
フォロワーからは「さすがです!」などのコメントが寄せられていました。またカンニング竹山さんは「そうだ、それでよし!」と投稿し励ましているようでした。
上原美優の遺書・自殺の真相・死因についてのまとめ
いかがでしたでしょうか?
今回の記事をまとめると…
・2011年5月12日に自室で首をつり自殺した
・以前にも1度睡眠薬で自殺を図っていた
・元関東連合OBの石元太一は元カレだった
・島田紳助や有吉弘行が自殺に関連していると噂されたことも
・上原美優の遺書は、本人のものではなく、漫画家の赤星たみこさんの父親の遺書だった
自殺した本当の理由は、本人にしか分かりませんが、東日本大震災や最愛の母の死が1番影響しているものと考えられます。